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平成12年度の研究成果

海洋島観測研究班(第1班)


[広帯域地震観測班]
1)カメンスコエ(ロシア)観測点の改修
 カメンスコエの記録システムの改修は、現地の状況が悪く遅れていたが、2000年夏に改修を終えることができた(図1)。しかし、現地の交通事情は非常に悪く、現在週1便の軽飛行機が飛んでいるのみで、それもしばしば欠航する状況である。電力状況も悪く、停電が多い。この状況は急に良くなることはないであろうから、ここで観測点を維持することはかなり大変であろう。

図1 カメンスコエの記録システム。一昨年天井を破って賊が入り多くのものが盗まれたので、部屋の中にありながら我々のシステムは頑丈な檻の中に入っている。

2)パラオ観測点記録システムの移設
 パラオ観測点をお願いしているPalao Community Collegeでは建物の改修工事が進み、我々の記録システムがおかれていた古いScience Laboratoryも取り壊されることになった。これに伴い、記録システムをコンピュータ担当の先生の部屋に移設、記録交換などのお世話もこの先生にお願いすることになった。

[GPS観測班]
 飯高隆氏は東京大学地震研究所広報(No.31, 2000.12)でインドネシアのジャヤブラでの地震観測の苦労を述べている。インドネシア東端の町、ジャヤブラまで、東京から15時間、飛行機を乗り継ぐ難行である。
 我々が1997年から海半球ネットワーク計画で通っているインドネシア北端の島々、サンギヘ諸島へは、まず日本を金曜日朝に飛び出す。シンガポール、マナド(インドネシアのスラベシ島北部)を経て、サンギヘ諸島にたどり着くのは火曜日の午前である。高知からの場合はフライトの関係から、木曜日夕方に出発し、5泊6日も費やす。
 インドネシアのマナドまでは、日本出発から2日目に到着する。サンギヘ諸島のメロンとナハで利用するインドネシア国家基準点は空港にされている。空港長自らフェリーボートで島に戻るように、飛行機の飛ばない空港である。我々は、インドネシアに同化したのか、もともとこちらなのか、あくせくせず、マナドで前日に並んで切符を買い、のんびりと船のベッドに横たわり、次の日を待つだけである。
 今年は、観測期間中に低気圧が接近した。メロンでは、ガラスのない部屋で猛烈な砂嵐に襲われ、目前のビリヤード屋の屋根が吹っ飛んだ。タフナでは、床下浸水のなか、ローソクで夕食を味わった。簡単に吹っ飛んだ屋根も、翌日にはまた簡単に復旧されたという。我々は落果したドリアンを嘆いた。
 通い始めて4年間、町も変化している。メロンではACが24時間提供され、タフナでは国際電話もつながるようになった。勿論、並んで順を待たねばならない。
 対岸のフィリピンでは、これまでボディガード付きで観測を実施してきた。しかし2000年は、とうとうパラワン島へは、渡航をあきらめた。
 このような悪戦苦闘のGPS観測から得た結果を図2に示す(田部井・他、2001)。1997年から1999年までに観測されたユーラシアプレートとスンダブロックに対する地殻水平変動ベクトルである。図2から、ユーラシアプレートのスンダブロックに位置するPUER、ZAMB、MANAは1m/yr以下の西進の水平変動を示す一方、フィリピン海溝に沈みこむフィリピン海プレートに関連する西方向の水平変動ベクトルが、フィリピンのANGT、MANL、DAVA、そしてインドネシアのTALAまで観測されていることがわかる。しかし、TALAから100 kmほどしか離れないSANGではフィリピン海プレートの収束運動を反映した有意な変動は観測されていない。

図2 1997-1999年の3回のGPS観測から得た地殻水平変動ベクトル。黒矢印はユーラシアプ レートに、白矢印はスンダブロックに相対的な速度を示す。誤差楕円は99 %信頼区間 を示す。

 フィリピン海プレートとスンダブロックの境界はSANGの東方と考えられる。しかし、TALA観測点の水平変動がプレート収束運動そのものなのか、カップリングによる動きなのか、現状の観測網では明確にできない。マルク諸島での観測が重要ながらも、ハルマヘラ(マルク諸島)への渡航は非常に困難である。重力の負の異常域はハルマヘラとマナドの間、スラベシ島とマルク諸島の間に観測されていることなどを考慮すると、プレート境界はTALAの東に位置し、TALAの変動はプレートカップリングによると考えられる。 

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