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GPS観測「北の原野から南の離島までプレート境界を漂う」

木股文昭(名古屋大学理学部地震火山観測地域センター)
はじめに
西太平洋・オホーツク海周辺域におけるGPS観測
サハリンの原野をトラックの荷台で揺られて
木造フェリーで2泊 インドネシア北スラベシでの臨時観測
[はじめに]
 GPS(Global Positioning System)は怪物である。 この世界に足を踏み入れた当時、もう30年も前だが、「地殻変動をやるなら10年間はシコシコとデータを貯めるんだな」と先輩から励まされた。現実に、光波測距による東海地域の辺長変化は 成果を得るまでに20年も経過してしまった。しかし、GPSによる地殻変動の観測が実用化した昨今、院生でも自分で観測したGPSデータで論文を書き上げる時代を迎えた。さらに、 世界に誇る国土地理院全国GPS観測網からデータが迅速に提供され、IGS(International GPS Service for Geodesy)では昨日までのデータが anonymous ftp で入手可能である。 ネットワークが驚く速度で拡充されている。しかし、まだまだ地球は広い。自ら汗を流し、手を汚してデータを集め、その結果に一喜一憂する喜びも残されている。 いや。的確な目的次第で、ハンドメイドの観測で仮説を確証できる状況が開かれているのである。文頭へ
[西太平洋・オホーツク海周辺域におけるGPS観測]
 海半球プロジェクトの開始と同時に、 私達も海洋島観測研究班の一員として、西太平洋・オホーツク海周辺域においてGPS連続観測点を積極的に設置してきた。プレート運動を詳細に議論する目的である。 地震観測と比較し、GPS観測はすでにハード的には完成され、現地で観測協力を得れば、観測自体は簡単に開始され、大地震を待つことなく、1年間我慢すればそれなりの成果が得られる利点もある。  図1は北海道大学理学部の高橋浩晃君がまとめたオホーツク海周辺域における水平変動ベクトルである。
図1 GPS観測から求められたオホーツク海周辺域における水平変動ベクトル(高橋・他, 1997)。つくば観測点の西方2cmへの水平変動を参照し、各観測点における年間ベクトルを示す。 観測期間は1995年8月から1996年8月まで。
水平変動ベクトルを表現する場合、どの観測点を参照点とするかは発表者の意図による。 図1では国土地理院のつくば観測点におけるユーラシアプレート内部に対する西方へ 2 cm/yrの水平変動を参照としている。つくば観測点における水平変動は、国立天文台の日置幸介さんが、 ヨーロッパの観測点と結んだ VLBI(Very Long Baseline Interferometry)から求めたものである。
 図ではカムチャッカ半島における大きな水平変動に目を奪われてしまう。しかし、もっとも注目していただきたいのは、サハリン北部の小さな丸である。その観測点はオハといい、 1995年サハリン北部地震の震源から100 kmほど北に位置する。
 北米プレートからオホーツクプレートの分離を提案した東京大学地震研究所の瀬野徹三さんによれば、オハ観測点はオホーツクプレートの回転極なのである。瀬野さん自身、1995年サハリン北部地震の調査後 にオハGPS観測点の設置に立ち会っている。私も参加したが、彼は「動くな」と祈願した様子だった。
 一般にGPS観測点は変動を観測するために設置される。しかし、このオハ観測点は「不動」の検証にGPS観測が抜擢されたのである。瀬野さんの願いが通じ、設置の2年後、オハ観測点はGPS観測点として初めて「不動」を検証したのである。
  一方、西太平洋でも東京大学地震研究所の加藤照之さんがリーダーとなり、小さな機会も積極的に利用し、GPS連続観測点を設置している。彼らが得た西太平洋周辺域における水平変動を図2に示す。
図2 フィリピン海プレート周辺域においてGPS観測から求められる水平変動ベクトル(加藤・小竹, 1998)。水平変動はユーラシアプレート安定部に対する相対的な変動として示す。 黒矢印がGPSから求まる変動ベクトル、白矢印がプレートモデルから計算される変動ベクトル。 観測期間は1995年8月から1996年8月まで。[詳細]
観測点は、リゾートとして有名なグアムやパラオから、凡人ではアクセスできない南鳥島や沖の鳥島まで含まれる。
 図2からプレート境界から離れた観測点、南鳥島やカロリン諸島のチュウーク、沖の鳥島ではプレートモデルから計算された水平変動とよく一致した水平変動が求まることがわかる。 一方、プレート境界域となるグアムやパラオ、石垣の観測点ではプレートモデルで説明しきれない変動が観測されている。 さらに、インド洋 ・ オーストラリアプレートのユーラシアプレートへの衝突が中国大陸から朝鮮半島、そして日本の山陰・北陸地方まで影響しているのが、明らかにされた。
 もはや、固い「プレート」で議論できないプレート運動を解明する時代なのである。そのためには、連続観測点だけの観測では不十分で、臨時観測も重要である。そのような背景から海半球プロジェクトとしてもプレート境界におけるGPS臨時観測を実施・計画している。文頭へ
[サハリンの原野をトラックの荷台で揺られて]
 サハリンへ最初に飛んだのは1995年サハリン北部地震の直後だった。震源地ネフチェゴルスクの隣村サボの学校を宿にし、地震時の地殻変動をGPS観測から検出する目的で、北海道大学理学部の笠原稔さんらと原野を走り回った。そして、その後3年間、夏になると、サボ村を尋ねサハリン北部の測量に精を出した。
 地震前の測量は10 cmの精度しかないが、それを上回る地震時の地殻変動が検出された。しかし、観測点までのアプローチは大変である。サハリンを縦断する幹線道路はわずか1本、それも未舗装である。少し雨がないと車は猛烈な砂埃を巻き上げる。 車は四輪駆動のトラック、その荷台に座っているから、体中が砂埃にまみれ、白髪交じりから完全な白髪になる。 そして、脇道はいたるところで寸断され、四輪トラックが大活躍である(写真1)。
写真1 道路が陥没してとりあえず立ち止まった観測車。倒木を運び、スコップで窪地を埋め、あっという間に難関も突破。右手がロシアの与作シャルギーンさん、斧を持つとエキサイトした。腰に手をあてがうのが観測指揮官ワシレンコさん、誰よりも遅く寝て、誰よりも早く起き、彼の寝姿はみえなかった。
 サボ村にホテルもレストランもない。最初は中学校の職員室、地震被害で、私達が去ったあと、立ち入り禁止となった。翌年は保育園、かわいい遊戯室でごろ寝である。そして、3年目は廃校になった中学校の板の間でごろ寝である。板の間の一ヶ月はきつい。食事はすべて、村のターニャお姉さんのボリューム満点の手作り料理である。 風呂は週に1回開く村営サウナのみでしかも、一つのシャワーがサボ村の全男性を受け持つ。男たちはシャワーの順番をスッポンポンで並んで待つ。
 サハリン北部地震の復旧測量も終わった1997年、新たな課題が持ち上がった。活断層を調査していた愛知県立大学の鈴木康弘さんらから、サハリンを縦断する活断層が予想外に大規模と報告された。そして、図1に示すように、サハリン南部ユジノサハリンスクはオホーツクプレート内に位置すると考えられながらも東方への水平変動を示す。 すなわち、オホーツクプレートとユーラシアプレートの境界がサハリン内部に位置するというのである。
 GPS観測はプレート境界に関しても貴重な情報を提供する。たとえば、国土地理院の多田尭さんたちは地理院のGPS観測網からオホーツクプレートとユーラシアプレートの境界が糸魚川−静岡線の北部で、その東方に存在することを指摘した。そこで、サハリンのプレート境界をGPS観測から検出する計画が浮上してきた。
 今年の夏も、また、トラック荷台の砂埃の中で飛ばされないように踏ん張り、ターニャさんのロシア料理を満喫するしかない。文頭へ
[木造フェリーで2泊 インドネシア北スラベシでの臨時観測]
 日本と同様なプレート沈み込み帯に位置するインドネシアは各所に地球物理学的に興味深い地域が存在する。カリファルニア工科大学のBockさんなどがインドネシア全域でGPS観測によるテクトニクス研究を精力的に進めている。しかし、その彼すらアクセスしなかった北スラベシは確かに辺境の地だった。
 北スラベシはフィリピン海プレートの南西端に接し、フィリピン海プレート最大の収束速度が推定されると同時に、東方に位置するユーラシアプレートも沈み込んでいるという複雑なテクトニクスの地域で、地震・火山活動の活発な地域である、幸いに、GPS連続観測が、北スラベシのまわりでは、パラオで実施され、カリマンタンで予定されるなど、条件は整っていた。
 バンドン工科大学の友人に北スラベシでのGPS観測を相談した時、彼らは「アパ(何だって)?」と問い返した。今年のゴールデンウィーク期間中に日本の新聞で「大ヘビが住民を飲み込む北スラベシ」の記事を見つけた。10年前、トラに脅えながらGPS観測でインドネシアのスマトラを彷徨したが、今度は大ヘビである。 97年2月に駆け足で観測点を調査し、97年11月に 高知大学理学部の田部井隆雄さんらと観測を決行した。
図3 フィリピン南部・インドネシア北部の国境域において実施した1997年11月GPS臨時観測網(▲で示す)。 震源分布などはKertapi et al.(1992)による。
もちろん、バンドン工科大学の友人がガイドとして同行した。  連発して事故を起こすインドネシア国営航空ガルーダを恐れ、北スラベシの玄関口マナドへシンガポールからシルクエアーで飛んだ。そのシルクエアーも年末にスマトラで墜落した。観測点の離島タフナとカラケロンには軽飛行機便があるものの、欠航ばかりである。もっとも、インドネシアでは軽飛行機の墜落など日常茶判事である。一つしかない命である。乗りたくない。海上を行くしかない。タフナまでは週三便、カラケロンへは週一便、フェリーが就航する。 フェリーといえど木造船、船内は大部屋が一つ、パイプ製の二段ベッドが並び、エアコンはない(写真2)。
 野戦病院でなく、インドネシアタフナへ渡るフェリーの船室。タフナに着き、このカメラは海中へ落ちるが、インドネシアの少年が飛び込み、拾い上げる。
しかも、出港にもたつき、干潮で出港不能となり、満潮まで6時間も船中で待たされる。赤道直下でエアコンなしの船室に閉じ込められる苦痛はたまらない。  タフナまで12時間、田部井さんはカラケロンまで、もう一晩、船中泊である。「ガンバリや」と激励し下船する。海を隔てたフィリピンのミンダナオ島では京都大学の大倉敬宏さんたちが同時に観測している。  しかし、 インドネシアはサハリンとは「天と地」、どこにも、最低限のホテルとレストランは存在する。ドリアンが 100 円と果物も安い。しかも、離島ゆえに、サハリンのようにトラックで観測点を転々とすることも不可能である。一旦、GPS受信機を設置すれば、あとはのんびり時間を待てばよい。あせらず、屋台で焼き鳥丼を楽しみ、暑ければ昼寝で逃げる。赤道直下といえど、屋根があり、扇風機があり、シャワーがあり、ビールも暖かいが飲めるとなれば、 C級天国である。田部井さんの話ではカラケロンもホテルがあり、明るくなれば起きて、暗くなれば眠るという文明離れしたのんびりした生活が満喫できたという。  今年もまたフェリーで、これらの離島に渡りGPS観測を実施し、水平変動を議論したいと考える。文頭へ

参考文献 高橋浩晃・他,極東GPS観測網によるオホーツクプレート運動の検出, 日本測地学会第88回講演会要旨,  205-206, 1997. 加藤照之・小竹美子, GPSから見たプレート運動のゆらぎ, 月刊地球, 20-1, 8-13, 1998. Kertapti, E.K., et al., Seismotectonic map of  Indonesia, 1992.